大判例

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京都地方裁判所 大12年(予)31号 判決

被告人 山口宇三郎

決  定

(被告人氏名略)

右の者に対する騒擾被告事件について昭和三十五年十二月一日京都地方検察庁検察官検事藤田太郎より公訴の取消がなされたので当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件公訴を棄却する。

理由

第一、本件公訴事実は、被告人に対する大正十二年八月三十日附予審終結決定記載の事実であつて、その要旨は、京都市上京区高野蓼原町三十六番地谷中勘三郎は大正十二年二月、京都府久世郡宇治町、別所吉松に対し手形及び小切手による金一万円の債権に基き、京都区裁判所に破産の申請をしたところ、吉松は債権の存否につき、京都市下京区宮川町において貸座敷業を営む篠原庄之助に事件の仲裁解決方を依頼したので、同人は実弟篠原庄吉をして勘三郎に交渉せしめたが、勘三郎はこれに応じないため、吉松は同市下京区大宮通四条上る錦大宮町百四十四番地土木請負業津田作次郎等に依頼し同年五月三日事件は和解のため終了するに至つた。

それがため篠原庄之助は谷中勘三郎の処置を以て自己の体面を毀損するものとなし心平かならず、ひそかに之が報復を図ろうとし、予て配下の新海吉蔵がその亡母の存命中の大正二年頃勘三郎に金二百円を貸与していたことを聞知していたので、その請求を口実として勘三郎を窮地に陥れようと思い、吉蔵に旨を含めてその手段を講ずることとした。そこで吉蔵は大正十二年五月四日及び同月六日の二回に亘りその配下の被告人山口宇三郎、下林憲次、水野留九郎の三名を同市同区西石垣にある勘三郎の妾宅に遣わして前記貸金の元利金につき厳重な督促をなさしめたところ、勘三郎は前記津田作次郎及び同人の舎弟分の吉田幸三郎をして之に応接せしめ且つ幸三郎より右貸金の成立に関係ありとて仲裁の申出があつたので、同月七日午後八、九時頃被告人山口宇三郎、水野留九郎を幸三郎方に遣わし、仲裁に応じ難い旨返答させたが、その際被告人山口宇三郎、水野留九郎は先方に争闘の準備あることを看取し、その旨復命したので新海吉蔵はこれに対抗する覚悟を定め、同夜十一時頃前記篠原庄之助及び篠原庄吉に報告すると共に自ら部下を招集して同市同区祗園町なる右庄吉方に赴き庄之助、庄吉並びに庄之助の弟分なる篠原松之助等と対抗策を評議することとなつた。

一方吉田幸三郎は前記仲裁に関し七日午後二、三時頃新海吉蔵に会見した結果、吉蔵の勘三郎に対する貸金の請求が吉蔵の衷心より出たものでなく、その背後に篠原庄之助の在ることを探知したため、直ちにその旨谷中勘三郎及び津田作次郎に報告し相共に幾分争闘の準備に取りかかり、同日午後八、九時頃吉蔵より仲裁拒絶の通告に接するや、前記作次郎方に到り同人並びに勘三郎及び作次郎の実弟津田竹次郎、小寺梅造、津田三次郎等と会合して謀議を凝らし、同夜十一時頃高田長次郎より吉蔵との交渉顛末を聞くに及んで闘志ここに一決し、同人等はいづれもその部下を招集し且つ予て作次郎の知遇を受けていた井上伊二郎も部下を率いて馳せ加わり、作次郎を除いた爾余の者は直ちに同市上京区高野蓼原町の勘三郎の本宅に赴き、勘三郎より庄之助及び庄吉に対し電話を以つて金は少し重いから篠原兄弟で取りに来い、場所は岡崎公園、時刻は午前三時としようと通告を発するに至つた。

爾後谷中派には作次郎の乾分上田庄三郎、近藤鶴松の一派、吉田甚三郎一派、東松清三郎一派の者等が加わりその数約二百名に達し、又篠原派は庄之助、庄吉、吉蔵、松之助等一派の者で約五、六十名の人数を得、かくて互に多衆が衆合した上、谷中派は欝金木綿を、篠原派は白木綿を各その身につけて味方の表徴とし、なお谷中派においては一心なる合言葉を用うることをも申合わせ、双方各自に銃、刀剣、竹槍、棍棒等の武器を携えて争闘の着手をなし、同年五月八日午前一、二時頃谷中派はその一小部分を本部の防備にあて、残余の大部分を二隊に分け、その一隊は直ちに岡崎公園に向つて進行し、他の一隊は敵より裏を掻かれないように先づ勘三郎の別宅のある同市同区田中高原町通称田中池方面に向つて進行したが、警察官に阻止せられて一小部分は本部に引揚げ、残余の大部分は転じて岡崎公園に赴いて先発隊と合し、午前三時過ぎ頃同所武徳殿前京都市公会堂の裏辺において、篠原派の一小部隊と思われる者を発見し、発砲して争闘を試みたが結局敵勢を認めず且つ警察官より阻止せられて引揚げることとなり、同派の暴徒四、五十名は午前四時頃同市同区田中飛烏井町養正小学校附近に差しかかつた。

これより先、篠原庄之助の股肱の配下である中島吉之助は七日夕刻勘三郎の実弟谷中末吉より争闘の応援を求められ、その内縁の妻中尾ヤスイ及び自己の配下七、八名を率いて前記田中池なる勘三郎の別宅に到つたところ、同夜十二時頃になつて争闘の相手が庄之助であることを知り大いに憤慨し、直ちに部下を引率して同区田中玄京町なる通称八田こと大浦久次方に引揚げ同所に屯して却つて谷中派に対抗しヤスイをして庄吉方に電話報告をなさしめ且つ応援を求めたため庄吉は磯谷小三郎に命じてその救援に赴かしめることとし、小三郎は八日午前二時頃庄吉方に衆合した暴徒三、四十名を率いて久次方に乗り込み、吉之助に力を協せて機会の到来を待つていた折柄、午前四時頃ヤスイがその附近の家で電話をかけての帰途、前記谷中派の群衆の岡崎公園より引揚げて来るのに遭遇し、これを端緒として茲に初めて真の争闘を実行することとなり、前記養正小学校の西方、久次方の北方に当る同区田中玄京町の空地において、両派互いに銃火を交え刀槍突撃を試み、谷中派の救援隊もこれに参加して乱闘すること約十分間に亘り、これがため谷中派においては前田清五郎、松浦春吉、巽松太郎等の負傷者を出し、篠原派において磯谷小三郎外二名の負傷者を出した。

右争闘は一旦互に引揚ぐることとなつたが、篠原派においては右ヤスイより庄吉方に電話報告をなしたため、庄吉、松之助、吉蔵等は応援のため同家に残留した暴徒十数名を率いて現場に向つたが、途中警察官に追撃せられ前記争闘の退却者と共に多くは逮捕せられ、又谷中派においてはなおも争闘を継続する意思を以つて武器を補充し人員の充実を図つていたが、午後二時頃多数警察官のため包囲逮捕せられたため両派の争闘茲に尽き、十数時間に亘つた騒擾状態も全く終熄を告げた。

以上の騒擾に際し、被告人山口宇三郎は水野留五郎と共に篠原庄吉方において騒擾に加わり、槍を携え、刀を携えた留五郎と共に前記大浦久次方に赴き田中玄京町における争闘の際、群衆に率先して助勢したものであり、被告人山口宇三郎の所為は刑法第百六条第二号に該当するというのである。

第二、本件公訴取消の理由は別紙昭和三十五年十二月一日付京都地方検察庁検察官検事藤田太郎提出の公訴取消書写記載のとおりである。

第三、よつて一件記録に徴するに本件公訴取消は正当であつて且つ検事主張の右公訴取消の理由は相当であるから、刑事訴訟法附則第三項、刑事訴訟法施行法第二条、日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律(昭和二十二年法律第七十六号、以下単に応急措置法と略称する)第九条第二十一条、旧刑事訴訟法(大正十一年法律第七十五号、以下単に旧法と略称する。)第二百九十二条第三百六十五条第一項第一号、同法附則第六百十六条に従い、本件公訴はこれを棄却すべきものである。

ところで一件記録に徴するに本件被告事件はいわゆる旧旧刑事訴訟法(明治二十三年法律第九六号刑事訴訟法)が実施せられていた大正十二年五月三十一日京都地方裁判所検事局検事より京都地方裁判所に予審の請求とともに公訴を提起されたもので同年八月三十日京都地方裁判所予審判事により騒擾罪として予審終結決定がなされ当裁判所の公判に付されたものであるが、本件被告人は事件検挙当時すでに逃走していたため被告人に対する警察官、検事の各聴取書並びに予審訊問調書がなく共犯者の供述のみによつて予審終結決定がなされたため被告人の本籍、族称、住居、職業、生年月日も不詳であつて当裁判所は未だ一回の公判審理をすることができずに今日に及んだものである。従つて本件は旧法附則第六百十六条及び刑事訴訟法施行法第二条に従い旧法並びに応急措置法を適用すべき事件であるが、旧法第二百九十二条第一項には「公訴ハ予審終結決定又ハ第一審ノ判決アル迄之ヲ取消スコトヲ得」と規定してあるのでこれを文字通りそのまま適用する本件はすでに予審終結決定を経ているため最早公訴を取消すことができないことになる。

そこで考えてみるに公訴取消は起訴便宜主義の一環として認められたものでその性質上取消の時期等について自ら限界の存することは謂うまでもない。旧法第二百九十二条第一項が予審終結決定後は公訴を取消せないとした趣旨は公訴提起の主要な要件である犯罪の嫌疑等について裁判所が一応の判断を表明していることを重視し、且つその結論を出すまでに裁判所が独自の立場で或る程度の事実調を行つていることを尊重した結果と考えられる。しかしながら元来予審制度は事件について裁判を下すものではなく、単に「被告事件ヲ公判ニ付スベキカ否カヲ決スルタメ必要ナル事項ヲ取調フルヲ以テ其ノ目的」(旧法第二百九十五条)としたものにすぎず外形上は一応捜査係官とは異なる裁判所の予審判事が行う手続ではあるが、もとより予審判事が秘密裡に単独専行する手続で、その実質は捜査手続の延長ともいうべきものであり、就中旧旧刑事訴訟法の下での予審手続では旧法の場合と異なり仮に予審判事に対して忌避の申請がなされてもそのために右手続の継続は妨げられず(旧旧刑事訴訟法第四十三条)又弁護人を付することは認められず、且つ予審終結決定前必しも被告人を訊問することを要せず、又被告人に対し嫌疑を受けた原由を告知して弁解をなさしめることを必要とせずに予審手続を終結できる(大審院明治三六年二月二七日、判決録二六四頁)等旧法所定の予審以上にその実体は捜査手続に近いものといえる。しかして憲法第三十七条第一項が公平な裁判所の迅速な公開裁判主義を宣明し、応急措置法第十条、第十二条が公判中心主義を徹底し、同法第十一条が公判審理の当事者主義的構造を強化したことからすると前記の如くその実質は捜査手続ともいうべき予審手続並びに予審終結決定をそれが単に裁判所のなした手続であり判断だからということだけで殊更に重視することは正当でなく、又実際応急措置法施行後は旧法事件についても応急措置法が併せて適用される結果爾後の公判審理において予審手続を経た場合がそうでない場合に比し殆んど軽重がなくなつたものと認められ、単に公訴取消の面だけで予審手続を経た場合を他の場合と区別して扱うことは甚だ不合理だということになる。つまり応急措置法施行後においては予審終結決定の存在に公訴を取消し得ないとする程の重要性を認むべきものではなく又その理由はなくなつたものというべきである。そして又応急措置法第二条は「旧法は日本国憲法、裁判所法及び検察庁法の制定の趣旨に適合するようにこれを解釈しなければならない」としているが憲法、裁判所法及び検察庁法の制定の趣旨に照らして考えると応急措置法施行後は従前の裁判所の職権主義的な面が薄れ、当事者主義的構造が整備され延いては検察官の公訴維持の責任が強化されるに至つたものと認められ、そのことからすると公訴維持の責任と相表裏する検察官の公訴取消権も少くとも第一審の判決がある迄は可能なものと解するのが適切であろう。

そうだとすると応急措置法第九条は予審はこれを行わない旨規定しているがこれは単に前記の如き実質を有する予審が憲法並びに裁判所法の予定する裁判所の公平な第三者的性格に適合せず憲法第三十七条第一項所定の公開裁判主義に反するからということで将来予審はこれを行わないとした趣旨だけではなく右規定を応急措置法の他の規定と相まつて理解するときは、すでに行われた予審についてもそれを殊更重要視してそのことのために他の場合に比し爾後の手続で予審を廃止した右趣旨に反するような差異を生ぜしむべきものではないとした趣旨でもあると解するのが相当である。従つて旧法第二百九十二条第一項中予審終結決定後は公訴を取消せないとした規定は明らかに予審終結決定に過大な存在価値を認め、そのことのために他の場合に比し不当な差異を認めたものというべきで応急措置法第九条の規定の右趣旨に反するものであるから同法第二十一条によりその適用を排除されるものと解すべきである。旧法第二百九十二条第一項をこのように解することは応急措置法施行後前記のとおり公判中心主義が徹底し、検察官の当事者としての性格が強化されたことに最もよく適合するものと考える。よつて本件公訴取消は適法なものというべきである。そして又本件は前記の如く被告人の本籍、住居、職業、生年月日等不詳のまま一回の公判審理もなされず、公判における被告人訊問も証拠調も全然行われておらず、第一審判決は何時の日に期待し得るや全く予想もできないままになつているのであるから、検察官においてこのまま公訴を維持するよりは公訴を取消すことこそ刑事政策の目的にかなう所以と謂うべく、検察官のなした本件公訴の取消は正に相当な措置というべきである。

よつて主文のとおり決定する。

(裁判官 石原武夫 荒石利雄 渡辺伸平)

公訴取消書

騒擾 被告人 山口宇三郎

右被告人に対する頭書被告事件につき提起した公訴(大正十二年五月三十一日予審請求し同年八月三十日予審終結決定)は左記理由により取消す。

昭和三十五年十二月一日

京都地方検察庁

検察官次席検事 藤田太郎

京都地方裁判所 御中

公訴を取消す理由

(一) 事件が極めて古く他の共犯者の処分は、何れも之を完了している上被告人は主要なる役割を果したものとは認められない。本件は事件発生以来既に三十七年六ヶ月の歳月を閲し、事犯は騒擾罪に該当するとは謂いながら、現在かかる事件のあつたことを知るものすら稀有な状態にあり、共犯者の処分は何れも当時これを完了している上、本件被告人は、率先助勢として予審終結決定を受けて公判に附されたが、裁判所は附和随行と認めて罰金五十円に処した相被告人水野留九郎と同一の役割を果したものに過ぎないので、今後徒らに訴訟を係属せしめたまま放置することは、却つて裁判検察の威信を損う虞れがある。

(二) 本件被告人を確認することが困難である。

被告人は本件検挙当時既に逃走していたため、被告人に対する警察官、及び検事の各聴取書並に予審調書は無く共犯者の供述のみによつて予審終結決定を受け、公判に係属したもので、本件被告人を確認する方途は共犯者の供述以外には求められないところ右共犯者も殆んど死亡もしくは所在不明にして本件被告人を確認することは極めて困難である。

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